Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
烈風をテストした三四三空の志賀義雄少佐の感想は、零戦を大きくしただけで使えないでした。紫電改の方が余程良い飛行機と語っています。
発動機の出力が低い上に防弾無しで機体の大きさはは艦攻並みでは戦力にならないとの評価でしたね。
烈風の動画待ってました!!強いか弱いかなんて分かりませんよね。ちゃんとした品質で量産するのは絶望的でしょうし、扱うパイロットの問題もあるし。カッコいい。それだけで十分な気がします。私も零戦と烈風が大好きです🛩️
小学生の時に初めて買ってもらった漫画の本・・・それが貝塚ひろし著の「烈風」でした、それ以来、還暦を過ぎた今でも大好きな戦闘機です。WarThunder内の動き最高です!
懐かしいですね!では、「ゼロ戦行進曲」などもお読みになったでしょうか?
@@たけまる-h9k 横からすいません、どっちも読んでいます。又読めるのでしょうか?
烈風が米軍機のように巨大化していき…ベアキャットが零戦のように小型軽量化を目指していたのがまた面白い。
ベアキャットが実戦投入されてたら、日本の戦闘機は全て時代遅れとなって次々と撃ち落とされてしまったでしょうね。
零戦の運動性能に恐怖症的対策から生まれたのがF8だからなぁ(´・ω・`)
@@西牧慶賢護衛空母でF6Fが運用出来ないからって理由も大きい
F8Fはゼロ戦よりも、小型の機体に高出力エンジンを組み合わせたFw190を模範としました。日本で言えば四式戦がそれに近いかも。烈風は試作段階から既に世界のトレンドから外れていたんだな😢
@@西牧慶賢そんなこと日本人以外で言ってる人見た事ないんですけどどこソースですか?
この時代すでにアメリカはジェット戦闘機P80を試作していたから戦争が長引けば烈風だろうが震電だろうが日本機はバタバタ落とされるだけだったという話をよく聞く。でもP80は初期のジェットエンジンだったから航続距離は超短くて沖縄から日本本土に来るのもやっとだったはず。まともな戦闘ができたとは思えない。
それ以前に工業力を始めとする国力に差がありすぎて議論にすらならない。
戦争が長引けばソ連とアメリカ、イギリス、中国に分割されたでしょうね。
悔しいけど事実。
試作ではなく、フィリピンで訓練飛行中でした
@@ラロッカ-h7oそれなあ。少し考えれば分かるのに。満州らへんで満足しときゃ良かったのよ。
操縦し易さと安定性がどうだったかが気になる。零戦や隼は旧式化しても操縦のし易さは素晴らしかったと聞く。
実際烈風を操縦した人曰く「特に機敏でも鈍重でも無くて普通、普通の飛行機」って印象だったらしく「デカイ」ってのが率直な感想だったらしい😮
343空で源田司令の片腕として活躍した志賀少佐は、烈風の試作機のあまりの大きさに驚くとともに、戦後になって実戦に間に合わなくて良かったと述懐するくらい、期待はずれ感の強い飛行機だったようです。ほ
@@CX-EURO400 さん祖父は仮配属でしたが343空で紫電に乗りました脚を壊し修理中に終戦しましたがもしかしたら烈風を見たかも?ですね👍️
@@CX-EURO400さん。志賀少佐はハッキリ『失敗作』と切り捨てていますね。2200馬力(出てたか怪しい)ハ43を搭載して、やっと整備良好の紫電改レベルの性能。烈風は不要な戦闘機ですね。紫電改は試作段階で630㎞/hを発揮してますから(馬力不足の誉)。海軍が紫電改を選択するのは、あの局面では当然ですね。
この時代はコンピュータが無い中で計算尺やそろばん、手計算等で全部の設計をやったのが凄い。コンピュータ等に慣れきった今じゃ到底無理でしょうね…
計算尺で設計した、一番最後かもしれない子は例の、sr71とYF12かな?”おやぶん、地上で漏れない、高温膨張した上空飛行中でもヘゲない燃料タンクの設計むりでごんす”、”そぅか、別に、地上ダダ洩れでもカマ湾、駒蘭。格納庫出るとき、離陸体制に入ったら、直ぐ満タンにして、離陸すりゃ、直ぐにまた空中給油すりゃイイだけ、航続距離無制限やぞ!”って、烈風?あの子はイツ迄も格闘せいのうぐあぁあ~て言う参謀だか何だかに、振り回されたどうしようもない可哀そうな子。そんなのが欲しけりゃ96乾癬に2000馬力エンジン詰めばよかったんじゃね?今の古い校舎の耐震化みたいに外からイッパイ補強材張り付けて。
計算尺ですごいのは、ブラックバードSR71.この子は、燃料漏れ上等!、格納庫で満タンにして滑走路の端まで良けりゃイイ、そこで満タンにしてそこそこの高度まで上がれりゃいい、後は空中給油を繰り返せば地球一周だってできちゃうんだから、洩れるぐらい気にするな、って感じで細かいトコロには目を瞑ったからできたのかもしれないが。でもほぼ同時代のX15は、”計算尺で設計”ってハナシは出て無いように思うが、どうなんだろ。あったとしても、後々のコモドア16辺りよりも低性能の真空管式(地域?)暖房機だと思うけれど。
長編動画制作お疲れ様です!いつも通りとても興味深い内容でした!
機体の大型化による航続距離延長と格闘戦強化、まるでフランカーよね。
初コメです。いつも楽しく拝見しています。今回は特にコメントに関する解説があったり柔らかくて面白いと思いました。
38:01 激しく同意です。ファインモールドさんの1/48を大量に購入して、352空(青木中尉、雷マーク付き)302空(赤松中尉)302空(20mm斜銃2門装備)302空(伊藤大尉)横須賀航空隊(噴進弾付き)など他のデカールを流用させたりしながら作っています。
艦上戦闘機…にしては機体はデカいし、いくら性能良くても空母に定数が載らないと……もし、採用されても局地戦闘機しか活路が無さそうでしたね。
空母が皆沈んで無かったのに
スピードや上昇力で敵機と張り合えても防弾性能で劣ってるから烈風が実戦投入されても結構厳しい戦いを強いられたんだろうなぁ
機体の性能に加えて、これを乗りこなせるパイロットがいません。
逆ガル〜ルーデルで何故か笑ってしまった。
どんな優秀な戦闘機を製造しようが、飛ばすガソリンがなければ電源を喪失したPCみたいなもん。
おまけに当時の日本はガソリンの質が悪かったと。
100万のpcはあるが、電気が止まっている。
安定した能力と稼働率、均一化された生産能力。一貫した製造目的。平和な今からいうのは卑怯ですが大切だと思います。この配信動画に愛情を感じます。
熟練者を前提にした機体では戦争に勝てない。米軍のように初心者でも勝てる戦闘機と運用システムを開発すべきである。
グラマン社の機体が良い例だね。
最近、集団戦と連携が出来るアメリカは多少飛行性能が下がっても打たれ強い機体にして数が揃えられない上に連携が難しい日本のゼロ戦は弾に当たらないように防弾よりも機動性を上げたのは両国とも妥当な判断だったんだなと思ってる。
烈風の最大の敵はグラマンやムスタングでは無く、身内の日本海軍……あと、もし終戦後に廃棄せず、米軍の指揮下で高オクタン価の燃料を使用した試験飛行を行ったら、どの位の速度を発揮するのかなと疑問に思ってました。疾風や紫電改と同じ様に680kmぐらいは出せたのではと思いたいです。
ようやく烈風を…😢私はただただ感動した。ヒトは2度死ぬというが1度目は物理的な死、2度目は忘れ去られた時に初めて死ぬではないが、それになぞらえていうが烈風は賛否色々あるが、こうして動画にしてくれたことでまだ烈風は我々ミリオタ、戦闘機オタクの中で生きている‼️私は誰が何と言おうと、烈風が好きだ。これは頑な。動画にしてくれてほんとにありがとうございました😭
動画制作お疲れ様です🙇今回の動画も素晴らしい作品で待った甲斐がありました😃次回作は私の好きな潜水艦なので大変楽しみです🤗
そう、細かいことはどうでもよくなるひたすらにかっこいい
11:49からのBGMが気になりますね。烈風待ってました。次回も楽しみです。
ベアキャットに確実に勝る点、そのフォルム。性能はどうあれ機体の美しさはずんぐり気味のベアキャットを遥かに超えている(個人の意見です)
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございます!
誉量産機の問題は、きちんと整備をしても額面通りの出力を発揮しないことにある。四式戦も紫電改も試作機は強かったが、量産機となり、後になるほど性能は低下した。紫電改が最も高性能だったのは試作機で、武藤金義が12対1で戦い、4機を撃墜したときだろう。343空の初陣の松山上空での戦いは、大幅に誇張されている。せいぜい互角で、紫電改も16機撃墜されるほど大被害を受けてた。その後は大した戦果をあげていない。海軍から烈風に与えられた誉は、6000m上空で1700馬力のところ、堀越の推算では1300馬力内外しか出ていなかった。烈風そのものは、海軍からあれもこれもの無理な要求により肥大化した機体であり、堀越が作りたいものとはかけ離れていた。
妄想の捗る素晴らしい動画をありがとうございました!烈風といい震電といい『間に合わなかった』からこその浪漫があり一際惜しまれるのでしょう。史実では米国のジェット戦闘機が実戦配備目前だったわけで...そうなる前に最後の一花を咲かせて欲しかったというのが多くの人に共通する心情ではないでしょうか。
同じ逆ガル翼好きとして流星改も紹介して欲しいですな
RC機の天山を三面図からバルサで製作したから、次は流星と思ってた。流星、作ろうかな。
動画楽しませてもらいました。後半まさかのWTイメージPV!?しかしアツいですね、烈風30機編隊はあり得ないと思っていても映像がアツかった。某ツヨツヨの実況者さんが惑星卒業されて久々にこの手の動画を見ましたが願わくばF8Fの方はNPCでないガチのプレイヤーで、手に汗握る格闘戦なども久々に見たいと思った次第。さて誉の方ですが、試製烈風における出力不足の話。この件は製造部門における吸気ポートの鋳型製作不良、という問題でして割と早期に解決したので誉の運転制限とはまた別問題かと思います。誉の運転制限は過昇温に対するもので、水メタ噴射に目処がつくまでずっと続けられていたのが実態。44年夏の陸軍報告の場において、スリンガー導入により解除の見込みとされるのですが結局、スリンガーは45年になっても導入された様子はないので戦争中ほぼずっと制限がかけられていた状態ではなかったかと思います。しかし動画でも指摘されているように、ハ43はさらに問題外だったでしょう。本機の報告をまとめた小福田氏によれば、「発動機の信頼性が実用機のレベルに無い」。また純粋に工業製品の観点から見てもスジの良い設計ではなかったということは最近の論文でまとめられています。金星三型で培った筈の信頼性、シンプルさをかなぐり捨てた燃料噴射方式とカム配置の全面変更。これはすでに金星62型において、百式司偵Ⅲ型で大失敗。また大馬力発動機に必須不可欠なダイナミックダンパはない、振動はクランク軸のゴツさで耐えるという方針。だから発動機内部の可動部全般が大きく重くなり、慣性も大きい。つまりダッシュなどの機動性に劣る一方、機体側には振動対策を必要とするといった具合。航空後進国であった日本が開戦に伴って他国からの技術導入が途絶え、良質な燃料も得られない中、まがりなりに到達し得た最高点はやはり誉でしかなかったというのが実相だったと思う次第です。脱線しましたがまた航空関連の動画投稿期待してます。
翼面荷重は零戦52型もまあまあ重い烈風は評価難しいとこあるけど、まあ遅すぎてF8Fには勝てなかったやろなあ。F6Fならなんとかなったかもしれんが。
何とも扱いにくい「譽」に対して、大戦末期に期待されたハ43だが、実用化出来る水準にまで達しなかったのが実態だ。「譽」に較べれば堅実な設計だったが、開発途中で「二段二速過給機を組み込め」「ターボチャージャーを使え」とかいう外野要求で、混乱したようだ。全般に日本軍は、エンジンの育て方が下手なところがつきまとってしまう。しかしエンジン抜きでも、中途半端な層流翼や逆ガル翼の採用など、設計センスを疑う要素が多すぎる。特に胴体設計が無神経過ぎて、アレでは胴体が揚力も担う、旋回上昇力が相当阻害されたことだろう。零戦や雷電も含めて、堀越が設計した機体に共通する欠陥だ。
いつもクオリティーの高い動画、ありがとうございます!!
「微かに、しかし、確かに」素晴らしい表現!日本語、美しい。
本当に見応え十分の作品です。ありがとうございます。烈風って終戦間近と言うこともあり少ない資料と悲観的な文面しかないイメージですが日本の男の子のカッコイイと言う抑えられない気持ちがストレートに突き刺さる動画でした。既に3回ループしました。更にループします😅
非常に興味深い動画でした。有難うございました!
確かに一言でカッコいい
定期的に入る主さんの贔屓がおもろすぎる
烈風は翼面荷重ありきの機体。欲を言えば、2500ps有れば真っ当な性能が出たでしょう。当時の日本の工業力では持て余していた。ただ、機体が大きいので、各種改修などの発展性は高かったと推測(実際雷電は過給機取り付けは比較的容易だった)。
最近地政学に興味あるから次回が楽しみです!
とうとう来た...
強かったかもしれないというところにロマンがある。故に間に合わなくてよい。
何なんだこれ、カッコよ過ぎる!本当ロマンしか詰まってない
制作者のぉなにぃと視聴稼ぎだけや
待っていました!
よく調べ更に語りがとても聞き易かった。私的には烈風が実践配備されなくて良かったと思っています。その方がカタログスペックだけで何時迄も想いに馳せられるから
海軍機と陸軍機の翼面荷重の差は、空戦思想の差というよりは艦載機として運用するか否かの差では?
もちろんそれもあるでしょうが、陸軍が早期にメッサーE型を輸入・テストして隼以降の戦闘機の開発に生かした点も大きいと思う。
@@疾風フランク陸軍はノモンハン事変でI-16の一撃離脱戦法でそれなりにやられてるからな。実戦経験があったのも大きいと思う。
カタログスペックで「金星零戦」とほぼ同じw仮に未来から500機プレゼントしても整備員もパイロットも弾薬も燃料も無いから早いも遅いも無いよ。500発の高性能特攻機になるだけ。
改二という言葉に非常に強い懐かしみを覚えた
紫電改ニには常々お世話になってます…
様々な性能は重要だが同様に重要なのは量産可能かどうか、米軍機は直線的なので量産しやすい構造。昔から日本はあらゆる物にコリ過ぎていて量産が苦手、戦闘機にもその傾向がはっきり出ている。敗戦の一つの要因。
情勢は一撃離脱に移行していたのに格闘戦主体の古い設計で例え完成していてもたいして活躍は出来なかったと思う
昭和18年当時安定して2千馬力を出せるエンジンがあれば烈風もそれなりに活躍できたと思います。戦局を変えるなんてことはなかったでしょうけど、・・(一一")。ただ同じ2千馬力でも米国はV8 4.5リッター、日本はV6 3.5リッターほどの違いがあるのでトルクなどはずいぶん違ったでしょうけど。烈風、翼がでかすぎ、翼面荷重170キロ、翼面積26平方メートルくらいであればもっと速度も出たでしょうしF6Fくらいは圧倒できたでしょう。もっとも安定した大馬力エンジンが出来ていれば紫電改と疾風で済んでしまって次はジェット機になったかもしれませんね、・・(^_^)v。
堀越二郎さんは、本当に優秀な設計者だったのだろうか?誉も栄もハイオクガソリンなし航空機用高性能エンジンオイルなしタングステン・ニッケルの使用も制限された中で中排気量の割にはパワーが出ていた。
実際96艦戦や零戦と言った傑作機を設計してるので優秀ではあったと思いますよ。
96艦戦や零戦と言った傑作機を設計してるので優秀ではあったと思いますよ
栄も21型になるとカタログ値ほど出力を発揮しなくなり、堀越の計算通りの性能が出なくなった。誉はもっとひどい。たしかにカタログスペックは立派だが、試作機の試験台での話でしかなかった。堀越に与えられた誉は、カタログ値より25%も額面割れした性能しか発揮しなかった。誉2発の双発戦闘機「天雷」も600km/hすらでなかった。中島の設計者すら誉のカタログ値に騙された。優秀な設計者ならエンジンがよければ優秀な戦闘機を設計できるが、糞エンジンでは腕の振るいようがないということだ。逆の例で、P-51もマーリンに換装して名戦闘機になったし、F6F,F4U,P-47はR-2800という傑作エンジンがあって成り立っている。堀越がR-2800を使えたら、雷電はF8Fに匹敵する戦闘になっていたかもね。R-2800だと振動問題は起きないしね。
@@miyamiya2237その誉の性能は本当に額面割れしていたのか?量産誉に粗悪品が多かったのは間違いないが、試験飛行に使用するエンジンは空技廠から送られてくるものなので、きっちり査定・テストされた良品が納入されるはず実際紫電改の試作一号機、疾風の試作三号機は運転制限のかかった誉で十分な性能を示していますしね当時の日本じゃ粗悪品でもおかしくないのも事実だが、正直機体側でも相当なやらかしがあったと考えられますが
優れた航空機設計者ではあったけど優れた軍用機設計者ではなかったということだと思います。
当然の如く開発が間に合わなかった時代遅れの最新鋭機でも好き、カッコいいから
実戦に間に合わなくて良かったんだよ。「もしも間に合っていたら~」なんて色々想像して楽しめるのだから。間に合っていたら、きっとF8FやP51Hの大群にボコボコにされて・・・(涙)
世代で見れば、烈風は紫電改、F6と同世代なんだよな(´・ω・`)零戦はF4と同世代なのを無理して使い続けた(´・ω・`)唯一のアドバンテージを取り続けた運動性能に恐怖症的対応によりF6でも足りない!って事で作られたのがF8とスーパーコルセアだったし、そもそもがF6はコルセアの代替機だったから(´・ω・`)勝てるかは未知数だけど絶対優位という訳では無い(´・ω・`)
最後のナレーションうますぎやろー😢
ちょくちょく惑星のネタが出るのでもしやと思ってましたがこれ程の腕前とは‼️他の方も着陸の援護などをしてるのでかなりの手練ですね
やっぱりね、昭和中期の子どもが目を覚ますんですよ。続けて4本、見応えがありましたな!そう言えば、40年ほど前に兵庫県にある駐屯地に仕事で行ったときに、展示されていた昔の戦闘機とおぼしきレシプロ機の操縦席に座ったことがあったなぁ。ものすごく狭くて、この痩せっぽちのケツがやっと収まるくらいだった。あの機体は何だったんだろう?
烈風の開発最終段階で堀越チームにはゼロ戦に金星エンジンを搭載する事を海軍側から要求されていたので、堀越チームはかなり過酷だったと思います。金星エンジンを搭載したゼロ戦54型の試作機のテスト飛行では、グラマンF6Fを凌駕する性能を出していました。烈風と同じ、戦争末期の事でした。堀越チームの堀越主任設計者としては、完成間近の烈風に全精力をつぎ込めたらと思いもあります。ゼロ戦52型の時にエンジンを栄21型から金星エンジンにしていたら、戦局も違っていたかもと思う事もあります。陸軍と海軍とでは機上無線電話には差があり、陸軍の機上無線電話は欧米諸国の戦闘機と同等の性能がありましたが、海軍は劣っていました。陸軍の機上無線電話は戦車にも装備していました。戦局末期日本海軍、陸軍共にB29の与圧室は実用化出来なかったので、代わりにヘッドホーンと酸素マスクにマイクを入れたパイロットヘルメットを製造しましたが、終戦近くに廃棄処分。亡くなられたマンガ家の松本零士氏は収集していたようです。陸海軍機とももっと早く、パイロットヘルメットを支給していたらと思います。脱線しますが世界初のパイロットヘルメットを開発したヘッドホーンとマイクを設計したのは、戦後SONYを立ち上げ盛田氏。戦後トランジスタラジオを製造販売したとき、アメリカでは当時最強のF86Fセイバーのパイロットヘルメットに組み込まれていたヘッドホーンとマイクを産業スパイをしたとして、議会の公聴会に呼ばれています。これに似た話では日本がF15をライセンス生産したとき、カーボン、カーボンとボロンの複合材料を飛行機の継ぎ手用に生産しない様にとの話もありましたが、日本側はポカーンとしたでしょうね。カーボンもボロンも日本で生産してアメリカに売っていましたから。当時ゴルフクラブのブラックシャフトはカーボンで出来ていましたし、釣り竿にも使われていて輸出していましたから。
当時の戦闘機更新速度は3~5年程度でゼロ戦完成直後に次期戦闘機の開発が始まっていても不思議ではない気がするが
そりゃ、学校では教えてくれないだろうし、たまたま先生が好き者でも、頓珍漢な内容で教えてくれるパターンw
ハ43に換装した烈風A7M2は昭和19年10月21日から始まった試験飛行において、特に12月30日の試験飛行では、紫電改よりも操縦性、空戦性能が勝ると柴山操縦士が述べています。
日本の国力からいって栄をモノにできたのが望外の幸運というべきでそれ以上は完全に国力以上だから何を作っても駄目なのは当然。電線をつつむゴムですら低性能。一回飛べば油が飛び散るエンジン。スペックばかり気にするけど欧米とかそこから違うのを理解してないのが多い。バッファローとかでも工業製品としてのクオリティが日本と違いすぎて技術者が鹵獲品見て羨ましがってた位だからな。疾風とか紫電改を特別視する奴は多いが日本じゃ扱い切れてないよ。
大馬力エンジン、ハイオクガソリン、高純度オイル。どれもこれも日本には無いものだけど、逆に言えばこれらが揃えば機体の設計が多少ダメでもなんとかなる。でも、アメリカはジェット機を投入してくるからそれでもダメなんでしょうね。
この際どうせなら、五式戦も解説お願い致します💦
疾風→問題は色々あったが量産性の高さも相まって間に合った兵器。烈風→登場したときには空母発着機能や航続性能などの存在意義が微妙な機体、量産型誉エンジンもアレだったがハ43も量産したら同じ問題を抱えていた可能性大と言われているから、どちらにしろ微妙。本土決戦の段階での使い道は良くて戦闘爆撃機程度、悪ければ特攻専門機。どちらにしろ日本の残存資源や人的リソースを考えると三菱は黙って紫電改を作るという方針が正解だったような。
海軍は陸軍のように各社競作で新鋭戦闘機を開発すべきだったのに三菱一社にこだわり過ぎましたからね。そういうところがメッサーシュミット社を厚遇し、戦闘機専任にさせたドイツ空軍省と似てるかな。
いつも楽しく拝見しております♪して先日、地元岡山の山陽新聞に飛燕のレプリカを岡山県倉敷市のバイク部品メーカーさんが作ったと載っており、今日は今月29日より一般公開すると地元NHKで放送がありました。よろしければ飛燕の動画をお願いします♪
こういう動画を待ってました。
やっぱり烈風は零戦より性能は、遥か上を回る…それを落とす物を作る、そして、それをまた落とす機体が現れる。
翼面荷重についての説明とてもわかりやすかったです!
結局、零戦からの進歩は成し得なかったし、技術者の能力、資源等々全てにおいて終わってたと言う事。後でどうこう夢想してみた所で夢想者のセンズリに過ぎないですな。エンジンも大したモノは出来ないしターボは到底実用不可能、ボールベアリングは作れない、エンジン制作精度は下がるだけ。こんなんやってみましたーってとこやなw
格闘戦「は」強かったのか。で、速度は?一撃離脱機に追いつけましたか…?
F8Fに勝てる訳無いは常識です。烈風は零戦を肥大化して不調なエンジン、F8Fはヘルキャットを削ぎ落としてより改良されたエンジン。中高度以下ではムスタング以上の機動性、運動性能を誇っていたのだから。実戦配備されるも終戦には間に合わなかったのが日本にとっては幸いでしたね。
そのF8FはP80に演習でボコボコにされたというのを見るところ二世代くらい遅れたように見える…。
海軍のムチャぶりと「誉」指定が一番悪いのだが・・・。「烈風」よりも川西の「陣風」のほうが活躍したんでは?と個人的には思う。翼幅14mって艦戦の翼幅じゃないぞ・・・。
とはいえ、ハ43も量産したら誉と同じになるだろうって冷ややかな目で見てたテストパイロットも居るからなぁ
へーあの写真横須賀なんだ、三沢基地にいた試作4号機のことだと思ってた。製作陣の話にもやたらと矛盾があって実際どこにあるのやら
製造されてても、乗りこなすベテランパイロットに配備されていたかが、気になりますね。
亡くなった父が「戦時中、戦闘機を作ってた」と言ってたので、ひょっとしたら烈風を作ったのかも...と思いながら楽しく動画見させていただきました。
そのハ43も量産されれば、誉と同じようなガタが出ただろうしね
この機材の開発にテストパイロットとして参加された滋賀少佐の所見。カタログでの飛行性能や機体特性は良かったが…如何に高性能と言えど、機体が大きい事は、被弾の可能性も高い。大型で、空母への搭載機数が減る。こんな単純な事に気付かない上層部😓❗️「烈風が実戦に使われなかったのは、幸いである」と滋賀少佐は結論されました。烈風の機体の大きさは、97式艦攻や天山と同じで、とても大きい。艦載機として運用できたのは雲龍型空母まで。それ以下の軽空母では運用不可。
動画製作お疲れ様でした。烈風が零戦に比較してあんなに大きいとは思ってませんでした。軍令部の要求仕様はいつも無茶苦茶だけど、それを実現しないと戦況が不利になるのが判ってるからある程度は理解するんだけど。山本長官が開戦から半年は暴れて見せますからその内に有利に条約締結をって言ってたのが現実になったのがねぇ。烈風実戦投入前に零戦改良と他の試作機開発であっぷあっぷしてた日本は、本当に全力で戦っていたんだってこういう資料を見ると思います。空母なら何に載せてたかな?艦上戦闘機として実戦投入したら良かったなぁ。
山本長官は1〜2年は暴れるではなかったですか?実際は半年だったのでそう思い込んでいるとか。
ベアキャットは、翼面積と翼面荷重からして、一撃離脱を意識した設計!?
烈風ってどんだけ旋回性能あったんだろう機体サイズ的にそんな高くなさそうに見えるけど
まず烈風はベアキャットがライバルではなくヘルキャットがライバルです!ヘルキャットならまぁ戦えるがベアキャットは期待性能的に勝てませんw
紫電改の鷹を子供の頃見て紫電改を知りました零戦より好きな紫電改搭乗員の命を守る設計が良い❤烈風は、余り知りません😂
ゼロ戦も烈風と同じで当時としては馬力の割にデカい機体なんよな。中国のJ20みたいなモン。無茶した結果デカくなるんよね。イーグルなんかデカいなりにも洗礼されたボディ感あるやが烈風にはないねん。
結局疾風で良くね?ってオチ五式戦より250kg以上軽くなったキ-116に新型エンジンのキ-117のが期待できるようなw
烈風は、強いか弱いかどうかといえば、エンジンさえ2000馬力が得れてれば強かっただろう。あと、格闘戦能力を抑えて一撃離脱に振っていればもっと早く完成したかも知れないし、誉にこだわる事が烈風の悲劇だと言える。特に、陸軍が熟練工を赤紙一枚で前線に送ったことが一番の原因で烈風の開発遅れに繋がった。
素晴らしい!
同じ誉エンジンなのだから、紫電改でお腹いっぱいだよ。F8Fと比較するより、同じ誉エンジン4式戦をライバル視した方が夢ある😅
烈風は浪漫組曲
烈風と紫電改が空母から発艦・着艦する姿を見たかったな。もちろんもう運用できる空母が無かったのは分かってるけど、こうなったら航空戦艦伊勢・日向から発艦でも良いや(無茶ぶり)
格闘戦にこだわる派が新しい一撃離脱戦法に宗旨換え出来れば無駄なく「世界の趨勢」に沿った機体で活躍出来たかな・・
当時の状況を考えると、泣き所は大きく2つ。理論が現実に追いついてなかった事。小型で強力な発動機を早期に開発できなかった事。燃料やオイル等の油脂類の枯渇、欲張り過ぎの開発要求等も大問題。あ、陸軍と海軍が反発しあってた事も大きいかな。双方とも航空隊があったから協力できていれば、せめて発動機の開発だけでも協力できていたら、とも思う。ま、夢想に過ぎないのはわかってはいても、な。海軍の格闘戦好きについては、まあ。某サーカス団団長の声が大き過ぎた。
烈風って世代的にはベアキャットではなく、ヘルキャットと相対するべき機種。単に日本の限界で登場が遅れただけでベアキャットと比較するのはちと可哀想w
かわいそうと言ってもベアキャットは実戦配備されている所なのに烈風は開発さえ終わって無い。ヘルキャットと比べても意味がない。
オクタン価の高い燃料、上質なオイル、過給機(ターボチャージャーやスーパーチャージャー)を生産出来なかった事を考慮すると防弾を施してパイロットやガソリンタンクを守る概念すら無く捨て身で闘ってもアメリカの戦闘機と同じレベルでの戦闘は不可能だったはず。
高価な照準器の後ろに防弾ガラスなら、なんで照準器を守るためなのか理解不能。人を守って帰還すれば高価な照準器を守ることが出来るということかな。
要は安定した出力を出せるエンジンが無かったのが、烈風の悲運の始まりだな。 アメリカのエンジン性能の安定性が羨ましい限りだな。 基礎の工業力、開発力の差がでかすぎましたね。 今も変わらないけどね。
烈風は世代的には、紫電改や陸軍の四式戦、アメリカならF6FやF4U、P51と同じ。次世代のF8Fには敵わないでしょうね。
既に、戦時中に結論が出ていますよね。烈風の試作機の評価に関わった海軍の志賀少佐は『烈風はモノにならない、失敗作』と断言しています。動画でも語ってますが、馬力不足の『誉』でも596㎞/hを発揮していた紫電改。『誉搭載烈風』よりも20㎞/h高速で、上昇性能も6000mまで2分は早い。しかも、徐々に馬力不足問題が解決していき。完調の『誉21型』ならば630㎞/hを発揮可能、343空のパイロットの証言でも高度5000~6000m付近では610㎞/h以上を発揮していたのは確実(しかも、誉21型はこの段階でも1900馬力程度だったのに)。海軍航空の御意見番の横空でも、雷電との比較で、上昇性能以外は紫電改が上‼️とジャッジされちゃってましたから。ハ43搭載で性能が向上した『烈風』は差ほど興味ナシでした。しかも、烈風の性能も正直『眉唾物』A7M2試作機は、武装未装備、防弾装備ナシの状態での計測だったと言われています。最終的に最後まで試作に深く関わった海軍の小福田少佐はA7M2の潜在性能の高さを高く評価していましたが。実際のところ、海軍は『間に合う戦闘機』である紫電改に限られたリソースを集中する事に決めていました。何故なら、実用目前のハ43を搭載した『仮称:紫電改5』の試作を命令しており、実機も完成していました。2200馬力に向上した『紫電改5』は、最大速度660㎞/h以上を発揮する予測でした。馬力未達の『誉21型』でも610~630㎞/hを発揮していた訳ですから、海軍の期待は大きいものでした。一応、ハ43で『それなり』な性能に成った烈風は、その『豊満なボディー』が買われて。対B29用途の排気タービン搭載戦闘機として開発継続が認められます。ハ43選定問題の原因は、堀越技師が96艦戦開発当時から、海軍指定の『中島エンジン』の不調に振り回され続けた経験と12試(零戦)でも、自社製エンジンで開発したかったのに『栄』を押し付けられ、初期トラブルに悩まされ。改良型の2号零戦(32型)でも『栄21型』が規定馬力が出ておらず、再三のクレームでも中島の対応が悪く。堀越技師は心中『次は絶対に自社エンジンで開発する‼️』と決めていたのでしょう。翼面過重と旋回性能問題で機体サイズが『巨大』になった烈風ですが。自社製品のハ43のサイズは誉より一回り大きいので胴体サイズが、誉対応ではないのは明らかです。堀越技師は、『誉じゃぁ絶対性能が出ない機体』を設計したとも言えます。烈風のテスト後に、誉の開発者の中川良一技師を三菱に呼びつけ『馬力が出ていない‼️』と、糞味噌にクレームを叩きつけた話しは有名です。その時の中川技師の心情は『誉の馬力の出てない時期に、、、』と悔しい気持ちであったと同時に。烈風を見て『こんな大きい機体を、、、』と、そもそも誉には不向きな機体である不満を抑えて、中島に戻りました。結果結論から言えば、海軍の無茶振り要求と、堀越技師の『中島エンジン嫌い』が、烈風を巨大化させたと言えるでしょう。そもそも論だけど、ハ43が量産できる筈もないので。堀越技師が『アタオカ』状態だったとも言えるかもしれない。余談、時期艦戦の試みの試算を実は、空技省でしていました。初期プランは、2000馬力エンジン、機体サイズは零戦21型(若しくは22型)に近い全長、翼幅。重量は3600㎏程度でした。このサイズ、何かに似てません?。そう、疾風ですよ。誉で性能を出そうとすれば自ずと、疾風か紫電改サイズになる訳です。
日本人の技術者は本当に優秀だったんですね。中国、韓国などアジアの中では群を抜いていたんですね。日本人として誇りをもてます。学校の授業で何故教えないのか、理解に苦しみます。やはり、アングロサクソン人としては我慢ならないのでしょう。
烈風をテストした三四三空の志賀義雄少佐の感想は、零戦を大きくしただけで使えないでした。紫電改の方が余程良い飛行機と語っています。
発動機の出力が低い上に防弾無しで機体の大きさはは艦攻並みでは戦力にならないとの評価でしたね。
烈風の動画待ってました!!
強いか弱いかなんて分かりませんよね。
ちゃんとした品質で量産するのは絶望的でしょうし、
扱うパイロットの問題もあるし。
カッコいい。それだけで十分な気がします。
私も零戦と烈風が大好きです🛩️
小学生の時に初めて買ってもらった漫画の本・・・それが貝塚ひろし著の「烈風」でした、それ以来、還暦を過ぎた今でも大好きな戦闘機です。
WarThunder内の動き最高です!
懐かしいですね!では、「ゼロ戦行進曲」などもお読みになったでしょうか?
@@たけまる-h9k 横からすいません、どっちも読んでいます。
又読めるのでしょうか?
烈風が米軍機のように巨大化していき…
ベアキャットが零戦のように小型軽量化を目指していたのがまた面白い。
ベアキャットが実戦投入されてたら、日本の戦闘機は全て時代遅れとなって次々と撃ち落とされてしまったでしょうね。
零戦の運動性能に恐怖症的対策から生まれたのがF8だからなぁ(´・ω・`)
@@西牧慶賢
護衛空母でF6Fが運用出来ないからって理由も大きい
F8Fはゼロ戦よりも、小型の機体に高出力エンジンを組み合わせたFw190を模範としました。日本で言えば四式戦がそれに近いかも。烈風は試作段階から既に世界のトレンドから外れていたんだな😢
@@西牧慶賢
そんなこと日本人以外で言ってる人見た事ないんですけど
どこソースですか?
この時代すでにアメリカはジェット戦闘機P80を試作していたから戦争が長引けば烈風だろうが震電だろうが日本機はバタバタ落とされるだけだったという話をよく聞く。
でもP80は初期のジェットエンジンだったから航続距離は超短くて沖縄から日本本土に来るのもやっとだったはず。まともな戦闘ができたとは思えない。
それ以前に工業力を始めとする国力に差がありすぎて議論にすらならない。
戦争が長引けばソ連とアメリカ、イギリス、中国に分割されたでしょうね。
悔しいけど事実。
試作ではなく、フィリピンで訓練飛行中でした
@@ラロッカ-h7o
それなあ。
少し考えれば分かるのに。
満州らへんで満足しときゃ良かったのよ。
操縦し易さと安定性がどうだったかが気になる。
零戦や隼は旧式化しても操縦のし易さは素晴らしかったと聞く。
実際烈風を操縦した人曰く「特に機敏でも鈍重でも無くて普通、普通の飛行機」って印象だったらしく「デカイ」ってのが率直な感想だったらしい😮
343空で源田司令の片腕として活躍した志賀少佐は、烈風の試作機のあまりの大きさに驚くとともに、戦後になって実戦に間に合わなくて良かったと述懐するくらい、期待はずれ感の強い飛行機だったようです。ほ
@@CX-EURO400 さん
祖父は仮配属でしたが343空で紫電に乗りました
脚を壊し修理中に終戦しましたがもしかしたら烈風を見たかも?
ですね👍️
@@CX-EURO400さん。志賀少佐はハッキリ『失敗作』と切り捨てていますね。2200馬力(出てたか怪しい)ハ43を搭載して、やっと整備良好の紫電改レベルの性能。烈風は不要な戦闘機ですね。紫電改は試作段階で630㎞/hを発揮してますから(馬力不足の誉)。海軍が紫電改を選択するのは、あの局面では当然ですね。
この時代はコンピュータが無い中で計算尺やそろばん、手計算等で全部の設計をやったのが凄い。
コンピュータ等に慣れきった今じゃ到底無理でしょうね…
計算尺で設計した、一番最後かもしれない子は例の、sr71とYF12かな?”おやぶん、地上で漏れない、高温膨張した上空飛行中でもヘゲない燃料タンクの設計むりでごんす”、”そぅか、別に、地上ダダ洩れでもカマ湾、駒蘭。格納庫出るとき、離陸体制に入ったら、直ぐ満タンにして、離陸すりゃ、直ぐにまた空中給油すりゃイイだけ、航続距離無制限やぞ!”って、烈風?あの子はイツ迄も格闘せいのうぐあぁあ~て言う参謀だか何だかに、振り回されたどうしようもない可哀そうな子。そんなのが欲しけりゃ96乾癬に2000馬力エンジン詰めばよかったんじゃね?今の古い校舎の耐震化みたいに外からイッパイ補強材張り付けて。
計算尺ですごいのは、ブラックバードSR71.この子は、燃料漏れ上等!、格納庫で満タンにして滑走路の端まで良けりゃイイ、そこで満タンにしてそこそこの高度まで上がれりゃいい、後は空中給油を繰り返せば地球一周だってできちゃうんだから、洩れるぐらい気にするな、って感じで細かいトコロには目を瞑ったからできたのかもしれないが。でもほぼ同時代のX15は、”計算尺で設計”ってハナシは出て無いように思うが、どうなんだろ。あったとしても、後々のコモドア16辺りよりも低性能の真空管式(地域?)暖房機だと思うけれど。
長編動画制作お疲れ様です!いつも通りとても興味深い内容でした!
機体の大型化による航続距離延長と格闘戦強化、まるでフランカーよね。
初コメです。いつも楽しく拝見しています。今回は特にコメントに関する解説があったり柔らかくて面白いと思いました。
38:01 激しく同意です。
ファインモールドさんの1/48を大量に購入して、
352空(青木中尉、雷マーク付き)
302空(赤松中尉)
302空(20mm斜銃2門装備)
302空(伊藤大尉)
横須賀航空隊(噴進弾付き)
など他のデカールを流用させたりしながら作っています。
艦上戦闘機…にしては機体はデカいし、いくら性能良くても空母に定数が載らないと……
もし、採用されても局地戦闘機しか活路が無さそうでしたね。
空母が皆沈んで無かったのに
スピードや上昇力で敵機と張り合えても防弾性能で劣ってるから烈風が実戦投入されても結構厳しい戦いを強いられたんだろうなぁ
機体の性能に加えて、これを乗りこなせるパイロットがいません。
逆ガル〜ルーデルで何故か笑ってしまった。
どんな優秀な戦闘機を製造しようが、飛ばすガソリンがなければ電源を喪失したPCみたいなもん。
おまけに当時の日本はガソリンの質が悪かったと。
100万のpcはあるが、電気が止まっている。
安定した能力と稼働率、均一化された生産能力。一貫した製造目的。平和な今からいうのは卑怯ですが大切だと思います。
この配信動画に愛情を感じます。
熟練者を前提にした機体では戦争に勝てない。
米軍のように初心者でも勝てる戦闘機と運用システムを開発すべきである。
グラマン社の機体が良い例だね。
最近、集団戦と連携が出来るアメリカは多少飛行性能が下がっても打たれ強い機体にして数が揃えられない上に連携が難しい日本のゼロ戦は弾に当たらないように防弾よりも機動性を上げたのは両国とも妥当な判断だったんだなと思ってる。
烈風の最大の敵はグラマンやムスタングでは無く、身内の日本海軍……
あと、もし終戦後に廃棄せず、米軍の指揮下で高オクタン価の燃料を使用した試験飛行を行ったら、どの位の速度を発揮するのかなと疑問に思ってました。
疾風や紫電改と同じ様に680kmぐらいは出せたのではと思いたいです。
ようやく烈風を…😢私はただただ感動した。
ヒトは2度死ぬというが
1度目は物理的な死、2度目は忘れ去られた時に初めて死ぬ
ではないが、それになぞらえていうが
烈風は賛否色々あるが、こうして動画にしてくれたことでまだ烈風は我々ミリオタ、戦闘機オタクの中で生きている‼️
私は誰が何と言おうと、烈風が好きだ。これは頑な。
動画にしてくれてほんとにありがとうございました😭
動画制作お疲れ様です🙇
今回の動画も素晴らしい作品で待った甲斐がありました😃
次回作は私の好きな潜水艦なので大変楽しみです🤗
そう、細かいことはどうでもよくなる
ひたすらにかっこいい
11:49からのBGMが気になりますね。
烈風待ってました。次回も楽しみです。
ベアキャットに確実に勝る点、そのフォルム。性能はどうあれ機体の美しさはずんぐり気味のベアキャットを遥かに超えている(個人の意見です)
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございます!
誉量産機の問題は、きちんと整備をしても額面通りの出力を発揮しないことにある。四式戦も紫電改も試作機は強かったが、量産機となり、後になるほど性能は低下した。紫電改が最も高性能だったのは試作機で、武藤金義が12対1で戦い、4機を撃墜したときだろう。343空の初陣の松山上空での戦いは、大幅に誇張されている。せいぜい互角で、紫電改も16機撃墜されるほど大被害を受けてた。その後は大した戦果をあげていない。海軍から烈風に与えられた誉は、6000m上空で1700馬力のところ、堀越の推算では1300馬力内外しか出ていなかった。
烈風そのものは、海軍からあれもこれもの無理な要求により肥大化した機体であり、堀越が作りたいものとはかけ離れていた。
妄想の捗る素晴らしい動画をありがとうございました!
烈風といい震電といい『間に合わなかった』からこその浪漫があり一際惜しまれるのでしょう。
史実では米国のジェット戦闘機が実戦配備目前だったわけで...
そうなる前に最後の一花を咲かせて欲しかったというのが多くの人に共通する心情ではないでしょうか。
同じ逆ガル翼好きとして流星改も紹介して欲しいですな
RC機の天山を三面図からバルサで製作したから、次は流星と思ってた。流星、作ろうかな。
動画楽しませてもらいました。
後半まさかのWTイメージPV!?しかしアツいですね、烈風30機編隊はあり得ないと思っていても映像がアツかった。某ツヨツヨの実況者さんが惑星卒業されて久々にこの手の動画を見ましたが願わくばF8Fの方はNPCでないガチのプレイヤーで、手に汗握る格闘戦なども久々に見たいと思った次第。
さて誉の方ですが、試製烈風における出力不足の話。この件は製造部門における吸気ポートの鋳型製作不良、という問題でして割と早期に解決したので誉の運転制限とはまた別問題かと思います。
誉の運転制限は過昇温に対するもので、水メタ噴射に目処がつくまでずっと続けられていたのが実態。44年夏の陸軍報告の場において、スリンガー導入により解除の見込みとされるのですが結局、スリンガーは45年になっても導入された様子はないので戦争中ほぼずっと制限がかけられていた状態ではなかったかと思います。
しかし動画でも指摘されているように、ハ43はさらに問題外だったでしょう。本機の報告をまとめた小福田氏によれば、「発動機の信頼性が実用機のレベルに無い」。また純粋に工業製品の観点から見てもスジの良い設計ではなかったということは最近の論文でまとめられています。
金星三型で培った筈の信頼性、シンプルさをかなぐり捨てた燃料噴射方式とカム配置の全面変更。これはすでに金星62型において、百式司偵Ⅲ型で大失敗。また大馬力発動機に必須不可欠なダイナミックダンパはない、振動はクランク軸のゴツさで耐えるという方針。だから発動機内部の可動部全般が大きく重くなり、慣性も大きい。つまりダッシュなどの機動性に劣る一方、機体側には振動対策を必要とするといった具合。
航空後進国であった日本が開戦に伴って他国からの技術導入が途絶え、良質な燃料も得られない中、まがりなりに到達し得た最高点はやはり誉でしかなかったというのが実相だったと思う次第です。
脱線しましたがまた航空関連の動画投稿期待してます。
翼面荷重は零戦52型もまあまあ重い
烈風は評価難しいとこあるけど、まあ遅すぎてF8Fには勝てなかったやろなあ。F6Fならなんとかなったかもしれんが。
何とも扱いにくい「譽」に対して、大戦末期に期待されたハ43だが、実用化出来る水準にまで達しなかったのが実態だ。
「譽」に較べれば堅実な設計だったが、開発途中で「二段二速過給機を組み込め」「ターボチャージャーを使え」とかいう外野要求で、混乱したようだ。
全般に日本軍は、エンジンの育て方が下手なところがつきまとってしまう。
しかしエンジン抜きでも、中途半端な層流翼や逆ガル翼の採用など、設計センスを疑う要素が多すぎる。
特に胴体設計が無神経過ぎて、アレでは胴体が揚力も担う、旋回上昇力が相当阻害されたことだろう。
零戦や雷電も含めて、堀越が設計した機体に共通する欠陥だ。
いつもクオリティーの高い動画、ありがとうございます!!
「微かに、しかし、確かに」素晴らしい表現!日本語、美しい。
本当に見応え十分の作品です。
ありがとうございます。
烈風って終戦間近と言うこともあり少ない資料と悲観的な文面しかないイメージですが日本の男の子のカッコイイと言う抑えられない気持ちがストレートに突き刺さる動画でした。既に3回ループしました。更にループします😅
非常に興味深い動画でした。有難うございました!
確かに一言でカッコいい
定期的に入る主さんの贔屓がおもろすぎる
烈風は翼面荷重ありきの機体。
欲を言えば、2500ps
有れば真っ当な性能が
出たでしょう。
当時の日本の工業力では
持て余していた。
ただ、機体が大きいので、
各種改修などの発展性は
高かったと推測(実際雷電は
過給機取り付けは比較的
容易だった)。
最近地政学に興味あるから次回が楽しみです!
とうとう来た...
強かったかもしれないというところにロマンがある。
故に間に合わなくてよい。
何なんだこれ、カッコよ過ぎる!
本当ロマンしか詰まってない
制作者のぉなにぃと視聴稼ぎだけや
待っていました!
よく調べ更に語りがとても聞き易かった。
私的には烈風が実践配備されなくて良かったと思っています。
その方がカタログスペックだけで何時迄も想いに馳せられるから
海軍機と陸軍機の翼面荷重の差は、空戦思想の差というよりは艦載機として運用するか否かの差では?
もちろんそれもあるでしょうが、陸軍が早期にメッサーE型を輸入・テストして隼以降の戦闘機の開発に生かした点も大きいと思う。
@@疾風フランク陸軍はノモンハン事変でI-16の一撃離脱戦法でそれなりにやられてるからな。実戦経験があったのも大きいと思う。
カタログスペックで「金星零戦」とほぼ同じw
仮に未来から500機プレゼントしても整備員もパイロットも弾薬も燃料も無いから早いも遅いも無いよ。
500発の高性能特攻機になるだけ。
改二という言葉に非常に強い懐かしみを覚えた
紫電改ニには常々お世話になってます…
様々な性能は重要だが同様に重要なのは量産可能かどうか、米軍機は直線的なので量産しやすい構造。昔から日本はあらゆる物にコリ過ぎていて量産が苦手、戦闘機にもその傾向がはっきり出ている。敗戦の一つの要因。
情勢は一撃離脱に移行していたのに格闘戦主体の古い設計で例え完成していてもたいして活躍は出来なかったと思う
昭和18年当時安定して2千馬力を出せるエンジンがあれば烈風もそれなりに活躍できたと思います。戦局を変えるなんてことはなかったでしょうけど、・・(一一")。ただ同じ2千馬力でも米国はV8 4.5リッター、日本はV6 3.5リッターほどの違いがあるのでトルクなどはずいぶん違ったでしょうけど。烈風、翼がでかすぎ、翼面荷重170キロ、翼面積26平方メートルくらいであればもっと速度も出たでしょうしF6Fくらいは圧倒できたでしょう。もっとも安定した大馬力エンジンが出来ていれば紫電改と疾風で済んでしまって次はジェット機になったかもしれませんね、・・(^_^)v。
堀越二郎さんは、本当に優秀な設計者だったのだろうか?
誉も栄もハイオクガソリンなし航空機用高性能エンジンオイルなし
タングステン・ニッケルの使用も制限された中で中排気量の割には
パワーが出ていた。
実際96艦戦や零戦と言った傑作機を設計してるので優秀ではあったと思いますよ。
96艦戦や零戦と言った傑作機を設計してるので優秀ではあったと思いますよ
栄も21型になるとカタログ値ほど出力を発揮しなくなり、堀越の計算通りの性能が出なくなった。誉はもっとひどい。たしかにカタログスペックは立派だが、試作機の試験台での話でしかなかった。堀越に与えられた誉は、カタログ値より25%も額面割れした性能しか発揮しなかった。誉2発の双発戦闘機「天雷」も600km/hすらでなかった。中島の設計者すら誉のカタログ値に騙された。優秀な設計者ならエンジンがよければ優秀な戦闘機を設計できるが、糞エンジンでは腕の振るいようがないということだ。
逆の例で、P-51もマーリンに換装して名戦闘機になったし、F6F,F4U,P-47はR-2800という傑作エンジンがあって成り立っている。堀越がR-2800を使えたら、雷電はF8Fに匹敵する戦闘になっていたかもね。R-2800だと振動問題は起きないしね。
@@miyamiya2237
その誉の性能は本当に額面割れしていたのか?
量産誉に粗悪品が多かったのは間違いないが、試験飛行に使用するエンジンは空技廠から送られてくるものなので、きっちり査定・テストされた良品が納入されるはず
実際紫電改の試作一号機、疾風の試作三号機は運転制限のかかった誉で十分な性能を示していますしね
当時の日本じゃ粗悪品でもおかしくないのも事実だが、正直機体側でも相当なやらかしがあったと考えられますが
優れた航空機設計者ではあったけど優れた軍用機設計者ではなかったということだと思います。
当然の如く開発が間に合わなかった時代遅れの
最新鋭機
でも好き、カッコいいから
実戦に間に合わなくて良かったんだよ。「もしも間に合っていたら~」なんて色々想像して楽しめるのだから。間に合っていたら、きっとF8FやP51Hの大群にボコボコにされて・・・(涙)
世代で見れば、烈風は紫電改、F6と同世代なんだよな(´・ω・`)
零戦はF4と同世代なのを無理して使い続けた(´・ω・`)
唯一のアドバンテージを取り続けた運動性能に恐怖症的対応によりF6でも足りない!って事で作られたのがF8とスーパーコルセアだったし、そもそもがF6はコルセアの代替機だったから(´・ω・`)
勝てるかは未知数だけど絶対優位という訳では無い(´・ω・`)
最後のナレーションうますぎやろー😢
ちょくちょく惑星のネタが出るのでもしやと思ってましたがこれ程の腕前とは‼️他の方も着陸の援護などをしてるのでかなりの手練ですね
やっぱりね、昭和中期の子どもが目を覚ますんですよ。
続けて4本、見応えがありましたな!
そう言えば、40年ほど前に兵庫県にある駐屯地に仕事で行ったときに、展示されていた昔の戦闘機とおぼしきレシプロ機の操縦席に座ったことがあったなぁ。
ものすごく狭くて、この痩せっぽちのケツがやっと収まるくらいだった。
あの機体は何だったんだろう?
烈風の開発最終段階で堀越チームにはゼロ戦に金星エンジンを搭載する事を海軍側から要求されていたので、堀越チームはかなり過酷だったと思います。金星エンジンを搭載したゼロ戦54型の試作機のテスト飛行では、グラマンF6Fを凌駕する性能を出していました。烈風と同じ、戦争末期の事でした。堀越チームの堀越主任設計者としては、完成間近の烈風に全精力をつぎ込めたらと思いもあります。ゼロ戦52型の時にエンジンを栄21型から金星エンジンにしていたら、戦局も違っていたかもと思う事もあります。陸軍と海軍とでは機上無線電話には差があり、陸軍の機上無線電話は欧米諸国の戦闘機と同等の性能がありましたが、海軍は劣っていました。陸軍の機上無線電話は戦車にも装備していました。
戦局末期日本海軍、陸軍共にB29の与圧室は実用化出来なかったので、代わりにヘッドホーンと酸素マスクにマイクを入れたパイロットヘルメットを製造しましたが、終戦近くに廃棄処分。亡くなられたマンガ家の松本零士氏は収集していたようです。陸海軍機とももっと早く、パイロットヘルメットを支給していたらと思います。
脱線しますが世界初のパイロットヘルメットを開発したヘッドホーンとマイクを設計したのは、戦後SONYを立ち上げ盛田氏。戦後トランジスタラジオを製造販売したとき、アメリカでは当時最強のF86Fセイバーのパイロットヘルメットに組み込まれていたヘッドホーンとマイクを産業スパイをしたとして、議会の公聴会に呼ばれています
。これに似た話では日本がF15をライセンス生産したとき、カーボン、カーボンとボロンの複合材料を飛行機の継ぎ手用に生産しない様にとの話もありましたが、日本側はポカーンとしたでしょうね。カーボンもボロンも日本で生産してアメリカに売っていましたから。当時ゴルフクラブのブラックシャフトはカーボンで出来ていましたし、釣り竿にも使われていて輸出していましたから。
当時の戦闘機更新速度は3~5年程度でゼロ戦完成直後に次期戦闘機の開発が始まっていても不思議ではない気がするが
そりゃ、学校では教えてくれないだろうし、たまたま先生が好き者でも、頓珍漢な内容で教えてくれるパターンw
ハ43に換装した烈風A7M2は昭和19年10月21日から始まった試験飛行において、特に12月30日の試験飛行では、紫電改よりも操縦性、空戦性能が勝ると柴山操縦士が述べています。
日本の国力からいって栄をモノにできたのが望外の幸運というべきでそれ以上は完全に国力以上だから何を作っても駄目なのは当然。電線をつつむゴムですら低性能。一回飛べば油が飛び散るエンジン。スペックばかり気にするけど欧米とかそこから違うのを理解してないのが多い。
バッファローとかでも工業製品としてのクオリティが日本と違いすぎて技術者が鹵獲品見て羨ましがってた位だからな。
疾風とか紫電改を特別視する奴は多いが日本じゃ扱い切れてないよ。
大馬力エンジン、ハイオクガソリン、高純度オイル。
どれもこれも日本には無いものだけど、逆に言えばこれらが揃えば機体の設計が多少ダメでもなんとかなる。
でも、アメリカはジェット機を投入してくるからそれでもダメなんでしょうね。
この際どうせなら、五式戦も解説お願い致します💦
疾風→問題は色々あったが量産性の高さも相まって間に合った兵器。烈風→登場したときには空母発着機能や航続性能などの存在意義が微妙な機体、量産型誉エンジンもアレだったがハ43も量産したら同じ問題を抱えていた可能性大と言われているから、どちらにしろ微妙。本土決戦の段階での使い道は良くて戦闘爆撃機程度、悪ければ特攻専門機。どちらにしろ日本の残存資源や人的リソースを考えると三菱は黙って紫電改を作るという方針が正解だったような。
海軍は陸軍のように各社競作で新鋭戦闘機を開発すべきだったのに三菱一社にこだわり過ぎましたからね。
そういうところがメッサーシュミット社を厚遇し、戦闘機専任にさせたドイツ空軍省と似てるかな。
いつも楽しく拝見しております♪
して先日、地元岡山の山陽新聞に飛燕のレプリカを岡山県倉敷市のバイク部品メーカーさんが作ったと載っており、今日は今月29日より一般公開すると地元NHKで放送がありました。よろしければ飛燕の動画をお願いします♪
こういう動画を待ってました。
やっぱり烈風は零戦より性能は、遥か上を回る…それを落とす物を作る、そして、それをまた落とす機体が現れる。
翼面荷重についての説明とてもわかりやすかったです!
結局、零戦からの進歩は成し得なかったし、技術者の能力、資源等々全てにおいて終わってたと言う事。
後でどうこう夢想してみた所で夢想者のセンズリに過ぎないですな。
エンジンも大したモノは出来ないしターボは到底実用不可能、ボールベアリングは作れない、エンジン制作精度は下がるだけ。
こんなんやってみましたーってとこやなw
格闘戦「は」強かったのか。で、速度は?一撃離脱機に追いつけましたか…?
F8Fに勝てる訳無いは常識です。烈風は零戦を肥大化して不調なエンジン、F8Fはヘルキャットを削ぎ落としてより改良されたエンジン。
中高度以下ではムスタング以上の機動性、運動性能を誇っていたのだから。実戦配備されるも終戦には間に合わなかったのが日本にとっては幸いでしたね。
そのF8FはP80に演習でボコボコにされたというのを見るところ二世代くらい遅れたように見える…。
海軍のムチャぶりと「誉」指定が一番悪いのだが・・・。
「烈風」よりも川西の「陣風」のほうが活躍したんでは?と個人的には思う。
翼幅14mって艦戦の翼幅じゃないぞ・・・。
とはいえ、ハ43も量産したら誉と同じになるだろうって冷ややかな目で見てたテストパイロットも居るからなぁ
へーあの写真横須賀なんだ、三沢基地にいた試作4号機のことだと思ってた。製作陣の話にもやたらと矛盾があって実際どこにあるのやら
製造されてても、乗りこなすベテランパイロットに配備されていたかが、気になりますね。
亡くなった父が「戦時中、戦闘機を作ってた」と言ってたので、ひょっとしたら烈風を作ったのかも...と思いながら楽しく動画見させていただきました。
そのハ43も量産されれば、誉と同じようなガタが出ただろうしね
この機材の開発にテストパイロットとして参加された滋賀少佐の所見。
カタログでの飛行性能や機体特性は良かったが…如何に高性能と言えど、機体が大きい事は、被弾の可能性も高い。大型で、空母への搭載機数が減る。こんな単純な事に気付かない上層部😓❗️
「烈風が実戦に使われなかったのは、幸いである」と滋賀少佐は結論されました。
烈風の機体の大きさは、97式艦攻や天山と同じで、とても大きい。艦載機として運用できたのは雲龍型空母まで。それ以下の軽空母では運用不可。
動画製作お疲れ様でした。
烈風が零戦に比較してあんなに大きいとは思ってませんでした。
軍令部の要求仕様はいつも無茶苦茶だけど、それを実現しないと戦況が不利になるのが判ってるからある程度は理解するんだけど。
山本長官が開戦から半年は暴れて見せますからその内に有利に条約締結をって言ってたのが現実になったのがねぇ。
烈風実戦投入前に零戦改良と他の試作機開発であっぷあっぷしてた日本は、本当に全力で戦っていたんだってこういう資料を見ると思います。
空母なら何に載せてたかな?
艦上戦闘機として実戦投入したら良かったなぁ。
山本長官は1〜2年は暴れるではなかったですか?実際は半年だったのでそう思い込んでいるとか。
ベアキャットは、翼面積と翼面荷重からして、一撃離脱を意識した設計!?
烈風ってどんだけ旋回性能あったんだろう
機体サイズ的にそんな高くなさそうに見えるけど
まず烈風はベアキャットがライバルではなくヘルキャットがライバルです!
ヘルキャットならまぁ戦えるがベアキャットは期待性能的に勝てませんw
紫電改の鷹を子供の頃見て
紫電改を知りました零戦より好きな紫電改搭乗員の命を守る設計が良い❤烈風は、余り知りません😂
ゼロ戦も烈風と同じで当時としては馬力の割にデカい機体なんよな。中国のJ20みたいなモン。無茶した結果デカくなるんよね。イーグルなんかデカいなりにも洗礼されたボディ感あるやが烈風にはないねん。
結局疾風で良くね?ってオチ
五式戦より250kg以上軽くなったキ-116に
新型エンジンのキ-117のが期待できるようなw
烈風は、強いか弱いかどうかといえば、エンジンさえ2000馬力が得れてれば強かっただろう。
あと、格闘戦能力を抑えて一撃離脱に振っていればもっと早く完成したかも知れないし、誉にこだわる事が烈風の悲劇だと言える。
特に、陸軍が熟練工を赤紙一枚で前線に送ったことが一番の原因で烈風の開発遅れに繋がった。
素晴らしい!
同じ誉エンジンなのだから、
紫電改でお腹いっぱいだよ。
F8Fと比較するより、同じ誉エンジン
4式戦をライバル視した方が夢ある😅
烈風は浪漫組曲
烈風と紫電改が空母から発艦・着艦する姿を見たかったな。
もちろんもう運用できる空母が無かったのは分かってるけど、こうなったら航空戦艦伊勢・日向から発艦でも良いや(無茶ぶり)
格闘戦にこだわる派が新しい一撃離脱戦法に宗旨換え出来れば無駄なく「世界の趨勢」に沿った機体で活躍出来たかな・・
当時の状況を考えると、泣き所は大きく2つ。理論が現実に追いついてなかった事。小型で強力な発動機を早期に開発できなかった事。
燃料やオイル等の油脂類の枯渇、欲張り過ぎの開発要求等も大問題。
あ、陸軍と海軍が反発しあってた事も大きいかな。双方とも航空隊があったから協力できていれば、せめて発動機の開発だけでも協力できていたら、とも思う。ま、夢想に過ぎないのはわかってはいても、な。
海軍の格闘戦好きについては、まあ。
某サーカス団団長の声が大き過ぎた。
烈風って世代的にはベアキャットではなく、ヘルキャットと相対するべき機種。
単に日本の限界で登場が遅れただけでベアキャットと比較するのはちと可哀想w
かわいそうと言ってもベアキャットは実戦配備されている所なのに烈風は開発さえ終わって無い。ヘルキャットと比べても意味がない。
オクタン価の高い燃料、上質な
オイル、過給機(ターボチャージャーやスーパーチャージャー)を
生産出来なかった事を考慮すると
防弾を施してパイロットやガソリンタンクを守る概念すら無く捨て身で闘ってもアメリカの戦闘機と同じレベルでの戦闘は不可能だったはず。
高価な照準器の後ろに防弾ガラスなら、なんで照準器を守るためなのか理解不能。人を守って帰還すれば高価な照準器を守ることが出来るということかな。
要は安定した出力を出せるエンジンが無かったのが、烈風の悲運の始まりだな。 アメリカのエンジン性能の安定性が羨ましい限りだな。 基礎の工業力、開発力の差がでかすぎましたね。 今も変わらないけどね。
烈風は世代的には、紫電改や陸軍の四式戦、アメリカならF6FやF4U、P51と同じ。次世代のF8Fには敵わないでしょうね。
既に、戦時中に結論が出ていますよね。烈風の試作機の評価に関わった海軍の志賀少佐は『烈風はモノにならない、失敗作』と断言しています。動画でも語ってますが、馬力不足の『誉』でも596㎞/hを発揮していた紫電改。『誉搭載烈風』よりも20㎞/h高速で、上昇性能も6000mまで2分は早い。しかも、徐々に馬力不足問題が解決していき。完調の『誉21型』ならば630㎞/hを発揮可能、343空のパイロットの証言でも高度5000~6000m付近では610㎞/h以上を発揮していたのは確実(しかも、誉21型はこの段階でも1900馬力程度だったのに)。海軍航空の御意見番の横空でも、雷電との比較で、上昇性能以外は紫電改が上‼️とジャッジされちゃってましたから。ハ43搭載で性能が向上した『烈風』は差ほど興味ナシでした。しかも、烈風の性能も正直『眉唾物』A7M2試作機は、武装未装備、防弾装備ナシの状態での計測だったと言われています。最終的に最後まで試作に深く関わった海軍の小福田少佐はA7M2の潜在性能の高さを高く評価していましたが。実際のところ、海軍は『間に合う戦闘機』である紫電改に限られたリソースを集中する事に決めていました。何故なら、実用目前のハ43を搭載した『仮称:紫電改5』の試作を命令しており、実機も完成していました。2200馬力に向上した『紫電改5』は、最大速度660㎞/h以上を発揮する予測でした。馬力未達の『誉21型』でも610~630㎞/hを発揮していた訳ですから、海軍の期待は大きいものでした。一応、ハ43で『それなり』な性能に成った烈風は、その『豊満なボディー』が買われて。対B29用途の排気タービン搭載戦闘機として開発継続が認められます。ハ43選定問題の原因は、堀越技師が96艦戦開発当時から、海軍指定の『中島エンジン』の不調に振り回され続けた経験と12試(零戦)でも、自社製エンジンで開発したかったのに『栄』を押し付けられ、初期トラブルに悩まされ。改良型の2号零戦(32型)でも『栄21型』が規定馬力が出ておらず、再三のクレームでも中島の対応が悪く。堀越技師は心中『次は絶対に自社エンジンで開発する‼️』と決めていたのでしょう。翼面過重と旋回性能問題で機体サイズが『巨大』になった烈風ですが。自社製品のハ43のサイズは誉より一回り大きいので胴体サイズが、誉対応ではないのは明らかです。堀越技師は、『誉じゃぁ絶対性能が出ない機体』を設計したとも言えます。烈風のテスト後に、誉の開発者の中川良一技師を三菱に呼びつけ『馬力が出ていない‼️』と、糞味噌にクレームを叩きつけた話しは有名です。その時の中川技師の心情は『誉の馬力の出てない時期に、、、』と悔しい気持ちであったと同時に。烈風を見て『こんな大きい機体を、、、』と、そもそも誉には不向きな機体である不満を抑えて、中島に戻りました。結果結論から言えば、海軍の無茶振り要求と、堀越技師の『中島エンジン嫌い』が、烈風を巨大化させたと言えるでしょう。そもそも論だけど、ハ43が量産できる筈もないので。堀越技師が『アタオカ』状態だったとも言えるかもしれない。余談、時期艦戦の試みの試算を実は、空技省でしていました。初期プランは、2000馬力エンジン、機体サイズは零戦21型(若しくは22型)に近い全長、翼幅。重量は3600㎏程度でした。このサイズ、何かに似てません?。そう、疾風ですよ。誉で性能を出そうとすれば自ずと、疾風か紫電改サイズになる訳です。
日本人の技術者は本当に優秀だったんですね。中国、韓国などアジアの中では群を抜いていたんですね。
日本人として誇りをもてます。学校の授業で何故教えないのか、理解に苦しみます。
やはり、アングロサクソン人としては我慢ならないのでしょう。